ゆさアニのレビューをレビューする[1つ目]



『グラスリップ』を最終回まで見て、考察や感想等も拝見した上で改めて考えてみたけれど、それでもやっぱりグラスリップは名作ではなく迷作だと思った。

作品の新視点の開拓度:★
レビューとしての有益度:★★
レビューとしての面白さ:★
総括:

  

このレビューは、まずネバーまとめにある考察を下敷きにして遊佐氏が見たグラスリップを再度眺め見渡すものになっている。

が、しかし言っていることは「(私が思う)アニメってこういうものなのに、それに沿ってないグラスリップは迷作だ」とし、自分のアニメの固定観念を正しいものと扱いそれから外れているグラスリップはダメだと言っているだけなのである。根拠がない。

ネバーまとめ考察を元にして本作を2週し検証・考察などするのではなく……ただただ当該作はダメだと言いたかっただけにネバーまとめは使われたようにしか見えなかった。

これは「グラスリップって微妙だと思いました」と感じた人が共感するためだけにしか使えない有益性の低いレビューと言っていいだろう。作品の新しい視点を切り拓いているわけでもないし、面白さもない、単純な規範批評で作品を切り捨ててるだけだと私は思う。

さらにこの遊佐氏のグラスリップレビューは以下の点も気になる。

まず遊佐氏は当該レビューで「個人的な見解」だと前置きしながらも、「視聴者」「アニオタ」という言葉を使って自身のグラスリップ批判を一般化してしまっている。

これが一般化せず、「遊佐の読解能力が劣っている」「遊佐の読み込みが足りなかった」「遊佐の感性が鈍いせいだ」というような論旨で、グラスリップを楽しめなかったのは作品による部分は幾つかあるが自分自身にも責はあるという終わり方ならば私は気にもとめなかっただろう。

もしも「個人的な見解」だと言うならば、最後まで「自分はそう思う」で帰結したほうが良かったのではないだろうか。

でなければ、グラスリップを好きな人に「結局あなたはは個人的な見解だと言っておきながら『視聴者』という盾を使い、『グラスリップは迷作だった』と正当化しうるのか?」と批判されても仕方ない。

私から言わせれば、グラスリップのメッセージ性を受け取れないのは、グラスリップのせいではなく――メッセージ性の視点でいうならばあの作品はそんなに難しいものではない――遊佐氏自身の問題である。そしてグラスリップ自身の問題でもある。

グラスリップが大半の視聴者から匙を投げられる作品だとしても、そういう傾向があったとしても、その作品の面白さ・良さ・メッセージ性を受け取れなかったならば、全ての責を作品に背負わせるのではなくいくらか自身にも持たせるとよいのではないだろうか。

するとグラスリップを愛好している人から、上述したような言い方はされないと考える。(コメント欄を前提とした意見)

 


1、名作の定義が恣意的すぎる


次に、遊佐氏の「名作」の定義があまりにも恣意的すぎることを指摘しておきたい。(24もすでに言及しているが私もしておこう)

遊佐氏の定義にいわせれば、名作とは

 

 「視聴者が、物語を通じて喜怒哀楽をはじめとした様々な感情を享受することで前向きな精神状態になり、生きるための活力や希望、あるいは学びや発見を得ることが出来る作品」

――『グラスリップ』を最終回まで見て、考察や感想等も拝見した上で改めて考えてみたけれど、それでもやっぱりグラスリップは名作ではなく迷作だと思った。

 

となっている。

これに沿うならば一般的に名作とされる『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『CARNIVAL』『ノルウェイの森』は名作にならなくなるのだが……いやいや……それはないんじゃないかな……と思う次第だ。

私から言わせると世間一般的に言われている「名作」とはそのような意味ばかりではない。今挙げた作品は読後「死にたくなる」類の作品だし、明日の活力ではなく死への希求を呼び覚ますものだ。人間の負の面を描ききり結末までそれに準ずる作品であり、芸術とは「ポジティブ」な面ばかりで出来ているわけではない。それは人間を見れば明らかだろう。汚く、醜く、気持ち悪い―――そういった感情をひっくるめて生の感情だし、リアリズムが生まれるのではないだろうか。

だから『名作』というのは遊佐氏がいうように「喜怒哀楽」といった読者の感情を強いエネルギーで揺さぶり後世に伝わる作品、というくらいの大まかなものだろうと私は思う。だから決して「明日への活力」を生み出すもの"だけ"が名作ではないことを指摘しておきたい。

 


2、「深夜アニメ」というくくりもまた恣意的なもの

 

遊佐氏は「深夜アニメは深夜アニメであって、村上春樹でも哲学書でもないのですから。」といい、グラスリップの複雑性を拒絶したが、それに対する根拠は示されない。

 

 だって、深夜アニメは深夜アニメであって、村上春樹でも哲学書でもないのですから。

――『グラスリップ』を最終回まで見て、考察や感想等も拝見した上で改めて考えてみたけれど、それでもやっぱりグラスリップは名作ではなく迷作だと思った。

 

「深夜アニメ」に遊佐氏が何を求めるかはもちろん自由だ。けれど「深夜アニメに村上春樹的作品を求める」読者もいないと断じるにはいたらないし、哲学的アニメ、衒学的アニメを望むものも多くのいるかもしれないし、いないかもしれない。いないならいないことを示して欲しい。

そして、この文言もまた前述したものと同じく一般化され「深夜アニメを求めている人は村上春樹的作品や哲学的作品を求めいるのではない」となってしまっている。遊佐氏がそういう意図で書いていなくても、これは一般化した文章であり、そういうメッセージとして受け取る者もいることを踏まえたほうがいいように私は思える。


要約すれば、このレビューは氏自身の教養に当て嵌まる作品は是とし、外れるのならば否とするだけのレビューであり、そこに妥当な説明はなされていないため納得することが難しい。個人的な感想を言えば、他者の考察を下敷きにするならば、それを検証するか、または考察に考察を重ねるかして当該作の良さを開拓するか・悪さを突き詰め批判してくれると有益性の高いものになったのではないだろうか。

 

 

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